純喫茶 ガーリック珈琲

なんとなくな思いつきで書いています

賛辞を賛美に願って祝う

久々の投稿である。
相も変わらず自分自身の気まぐれや習性には辟易とするところではあるがここでは置いておこう。

先週の話ではあるが、非常に親しい友人達の結婚式があった。
新郎新婦どちらも知っており、非常に感慨深いものである。
新郎とは学生時代に車で岐阜から仙台へ車で向かい片道14時間というちょっとした長旅をした中でもあり、
新婦には非常に自身の悩み事などでお世話になった方だ。

そんな二人が恋人から家族へと変わる決意をしたという事に対して、敬意にも似た感情を抱いた。
自身の現状を鑑みての感情ではあるのだが、友が二人で歩み続けていくという事に対して覚悟を決めた。
その一歩に対して、何様だという見方ではあるが、その一歩を踏み出した事に対して強く称賛を送っている。
私自身は今の生活の中で共に歩んでくれる恋人すらいないのだからそんな表現は非常に滑稽ではあるが、
そこは祝う気持ちという事で少しばかり寛大な気持ちで見ていただくとありがたい。

彼らの結婚式に合わせて上司に少し無理を言い、4日間の休みを頂き、東京から名古屋へと向かった。
いつも名古屋へと向かう2時間近い時間は早く帰りたいという気持ちと一緒に名古屋で会える懐かしい友人達に会えるという事に、
柄にもなく期待に胸を膨らませて、落ち着かない為、2時間近い時間が非常にもどかしく感じた。

そこに最愛の友人達の結婚式があるとなると尚更、、落ち着くことすら難しい状況へと陥ってしまう。
道中では結婚式ではどんな姿で彼らは登場するのかという事や、新郎から頼まれていたカメラマンという大役に対して上手く撮れるのかといった不安で頭が一杯だった。
それは当日が終わるまで常に頭を過っていた為、何とも常に緊張していたものだと苦笑いに近いものを感じてしまう。

結婚式当日は、台風の影響で数日土砂降りだったにも関わらず、その日に限っては、彼らの祝い事を祝福するかのような晴天であった。
自宅を出る際には何とも晴れやかな気持ちと共に先述していた不安が混在しており、何とも不可思議な顔をしていたに違いない。
式場へと到着すると、なんとも手厚く式場スタッフの方に迎え入れて頂き、受付では顔なじみの方々が喜々とした表情を浮かべながら昔話や近況報告をしていたり、
対照的に親族の方々は落ち着かない様子で座っていたことが印象に残っている。
葬式といった悲しい席への参加は今迄に何度か参加したことはあるのだが、こういった結婚式のような格式のある祝い事の席へと正式に参加することは初めてであった為、非常に新鮮な感情をその時に抱いたことを覚えている。

そこからの誓いの儀や披露宴などが式次第通りに進んでいくのだが、
私自身、式の最中は祝いの感情と涙を堪えつつカメラの撮影を行っていたりと何とも他の方々からすると非常に忙しない状態であったに違いない。
式が進んでいく中で、新郎のいつにない緊張の表情やいつも通りの新婦の表情の対比に笑ってしまったり、スピーチを行う友人代表の方や職場の方の内容を聞きつつ、今後自分もこういった役目を頂いた際に役立てようと少し心の中に潜ませておいたり、
出てくる料理が一つ一つ美味であり舌鼓を打っていたり、新婦から家族へ手紙を読んでいる時の新婦のお父様が号泣しているところを見てもらい泣きをしたりと簡単に書き出すだけでも、あまりにも多くの出来事や感情を抱いていいた。
ただもちろんではあるが、彼らの式に参加している中で、常に心に感じていた感情は、【本当におおめでとう】という感情が大きかった部分ではあるが、自身にこういった式がいつになったら予定立てが出来るのだろうかとこれまた不安になっていたのはここだけの話である。
式が終わり感動も一塩であるところから、舞台は二次会へと移っていく。

式に参加出来なかった古くからの知り合い達に会うことが出来る場所に喜びに思いを馳せたいとっころであったが、
二次会での余興に参加するという役割をあった為、あまり落ち着いてもいられなかった。

二次会へ移る前に、余興の練習に参加すべく、幹事グループの集いへと参加した。
こういったイベントに対してプロフェッショナルとも言うべき方々が集まっており、事前準備の段階から余念がない事に対しいて、感服の至りであった。
そこに集まっていいる方々も懐かしい顔ぶれで昔話や近況報告に花を咲かせたかったが、自身の心理状況や忙しなく準備に勤しむ彼らの姿を見て、二次会の後へと持っていこうと心に決めた。
そして、二次会が始まり、プロフェッショナル集団の見事とも言うべき手際により、100名近くいた参加者たちが席へと収まっていった。
結婚式の格式高い状態とは打って変わり、非常にカジュアルに二次会は始まっていった。
未だ新郎の緊張は解けていなかったようだが、昔からの友人たちの姿を見てか、会が進んでいくにつれて解れていったように思える。
会の中では、様々なイベントが行われており、会場からは笑い声や参加者達の様々な声が飛び交っており非常に賑わっており、会場全体が彼らの祝い事に賛辞を送っている光景が印象的だった。
会の最中はカメラマンとしての会場の撮影や余興での我武者羅応援団への参加とここでも忙しなく動いていたことを覚えており、久しぶりに全力で叫び少し声が枯れ気味になってしまい自身の老いを感じてしまった。
二次会はプロフェッショナルの方々の見事な会場の仕切りで終わり、舞台は三次会へと移っていく。
三次会ではようやく自身も落ち着いて昔なじみの友人たちと話をすることができ、役目を終えた後のビールとはまた格別であるとひっそりと感じていた。
会が始まってから少し経ち、新郎新婦もその会へと合流をし、参加者一同から質問攻めを受けていたことが非常に印象的であった。
そこで新郎と二人で話していた際に、『次はお前の番だな』と言われた時は非常にどきりとしてしまった。
驚きとしてではなく、そこまで辿りつける相手がいないことに対してである。
それはさて置き、今回、最愛の友人が結婚という大きな一歩を踏み出した決意や覚悟に私自身が敬意を表すべく今回の記事を書いている。
これから、二人の間に子供が出来た際にはその子供を猫可愛がりしてしまいそうであると不意に想像してしまうが、これからの楽しみとしてもう少し考えるのはおいておこう。
二人の結婚式と聞いた時には、どんな状態に自身がなるのかという事が非常に不鮮明ではあったが、参加してみて思った事としても非常に良かったと感じている。
それは、自身の最愛の友人達が二人で人生を歩んでいくことを深く感じさせてくれて、また、二人の喜びを分かち合える方々と共に時間を過ごせたからだ。

今回の記事は二人の結婚という大きな一歩を祝い、また二人の今後の幸せを願い締めとさせていただきたい。
二人の人生が今後、常に幸せで満たされることを願って。

 

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ゆるやかに でも 駆け足で

本当に久しぶりな投稿。

とある事情でネット回線としばしお別れしていて、

ようやく復旧して、余談ではあるけれども今回は神保町にある喫茶店でこれを書いている。

 

前にも書いたかもしれないけれども、久々に何かを書こうとすると、

不思議な感覚で何を書こうかとワクワクとした感情半分、

本当に何を書こうかと困惑半分なところがある。

別段、何を期待されているわけでもないので、そんな緊張感を抱くことの方が可笑しいのかもしれないが…

 

最後に投稿したのが、3月という事に驚きを隠し切れない部分ではあるが、

すでに2か月も過ぎているのかという事に関しても時が過ぎるのは何とも早いものだと、年甲斐もなく感じてしまう。

 

書いていなかった2か月間を思い返してみても、早いと感じながらも色濃い時間の過ごし方は出来ていたのかなと感じる。

相変わらず独身ではあるものの、生活的な面での変化が大きい。

東京に来てこれも早いもので1年が過ぎている。

ただなかなかどうして、増えていかない新しい人間関係に業を煮やしていたのだが、ようやく新しく友人と呼べる人間も増えてきた。

そこに色恋沙汰も追加されてくれると非常に嬉しいのだが、ここもなかなかどうして簡単に上手くはいかないものだと感じる部分が多い。

新たな関係性で言えば、またも異動になってからの目まぐるしさというものも大きい。

全く違う業態に入り、現在もそうだが、かなり四苦八苦しているのはここだけの話である。

ただ四苦八苦しながらも自分で行えることの幅はかなり広い為、四苦八苦しながらも楽しい日々を送っている。

とは言いつつも四苦八苦するのは少しばかり疲れるというのもここだけの話だ。

 

この記事を書きながら、久々に自分自身の状況や考えを振り返っているわけでもあるのだが、前の投稿から前にも述べたように2か月という時間が過ぎている。

日々の時間はいつも緩やかに過ぎていると感じつつも、その中で起きている物事、

自分の行動は、緩やかさとは全く違って常に、駆け足で過ぎている。

そんな中で、流されずに日々を過ごしていく事の難しさを感じながら、今回もだいぶふわっとした終わりになってしまうのだが、終わりにしようと思う。

 

これからはまた定期的に投稿していくと思うので、

ぜひともまたゆるりと見てもらえれば嬉しい。

 

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ゆるりと流行りな日々を

刺激とは少し離れているような生活
少しだけ飽きがきているようなそんな感覚
ただそれって自分から刺激を求めているっていうクレクレ状態で
実際に動いているのかというとそうでもないのが現実だったりする
そんな時分にふと思いつく場所に行き想像以上の出来事に向き合ってみようとする
ただそんな現実は簡単でなく普段通りに近い時間を過ごしてしまうのが現実だ
思い切った一歩ということでいつもはしないような行動を過ごしてみるのも一興なのではなかろうかと思う

そんなわけで東京で生活を始めてはや一年が経とうとする中
先日、とあることをしてきた
ただ非常にどうでもいいことであるということを先述しておく

何をしてきたのかというと現代人の今や一大ムーブメントでもある
某巨大コーヒーチェーン店で自慢のマシンを使い作業をするということだ

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ふと思いついた後、なんとかこれを記事にできないかと少し悩んだのはここだけの話である

ただ今回、記事にするにあたっ少しだけ気を使わねばならないと感じたところが幾つかある
何かというと、批判的な内容にしてしまうと非常に陳腐な内容になりかねないと感じた為である
別段、取り立てて僕はこの行動自体がおかしいと思うことはないのだけれども
それでもなぜあんなにも様々な方々が心惹かれ、あのスペースで何かをしようと思うのかを体感してきたわけである

ブログのタイトルで分かるように僕は非常に喫茶店が好きである
作業をしようとはあまり思わないが喫茶店で本を読みながらコーヒーを啜る休日は非常に素敵であると感じている
それと同じようにその某巨大コーヒーチェーン店で作業をすることが好きなのだろうか?
そんな非常にどうでもいいことに対して疑問を抱いてしまった…
抱いてしまったからには…ということで休日を利用して実行してみた

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素直な感想を書いてしまうとそこまで没入感を持って何かをするには不向きな気はしているが
あくまで主観の話ではあるのでご理解いただきたい

店内の雰囲気としても明るくカジュアルな場ではあろのだが、致命的なスペース不足を感じ、
BGMにしてはあまりにも大きい人の声の中で何かを集中して行うとなった場合どうであろうか?
それにも拘わらず多くの方が勉強や何かPCでの作業に勤しんでいる場面を見ているとここでなくても良いのではなかろうかと思ってしまう 
それでも彼らがあの場所に惹かれて作業に勤しんでしまう理由とは何なのだろうか?

理由としては幾つもあるのであろう
家では集中できないという方もいるであろうし、お洒落な場所で何かをしている私というブランディング
wifiが飛んでいてPCやタブレットが扱える等といった理由が挙げられるのであろうが
確かに飲み物の種類も豊富で単純にコーヒーが苦手な方でも利用しやすいであろう

ただ、それは本当に自身の満足値が高い状態で利用できているのであろうか?
自分自身で利用してみて感じたこと
スペースも狭く非常に喧噪的であるということ
作業や勉強をしている方々はにとってのオアシスたり得ているのか

そんな中でブログのタイトルを読んでいただいて分かるように、
僕は喫茶店が非常に好きである。愛していると言っても過言ではない
そんな中で皆様に、少し提案したいものが一つだけある
それは、お洒落なカフェで優雅な作業時間もいいのだが、
喫茶店で過ごす静かな時間の中での作業というものはどうであろうか?
カフェと喫茶店で何が違うのかという至極もっともな疑問もあるであろう
僕自身ではある種の定義的に使い分けているのだが、今回の喫茶店に関しては
純喫茶と名の付くような イメージとしては古臭いようなお店のことである

喫茶店ではラテやマキアートといった豊富なドリンクのある店舗はそこまで多くない
あるのは大半がブレンドコーヒーと紅茶とちょっとしたソフトドリンクではあるが、
机などのスペースは4人掛けの机を広々と使うことができ、少しくたびれたようなソファでゆったりと作業もできる。
優雅とは少し遠い部分ではあるが、ちょっと小粋なジャズの流れる喫茶店での勉強やちょっとした作業なども少し趣が変わって
カフェでのスタイルを変えて、喫茶店にぜひとも遊びに行ってみてほしい

ちょっと寡黙なマスターにお喋り好きな奥さんがやっているお店に行くと、奥様方の井戸端会議に耳を傾けてみたり
マスターこだわりのコーヒーを飲んで美味しいコーヒーに舌鼓を打ってみたりと皆さんご存知かもしれないが意外に楽しい場所なのである

ぜひとも次の休日にでも行ってみて実際に体感してみてもらいたいものである

久々のブログに少し緊張感を抱きながら書いてはみたものの、
相変わらず着地点のない内容だなと辟易しながらも次回はなにを書こうかと
少しばかり考えを巡らせながら今回はここまでにしようと思う
また気が向いたらぼんやりと書いていくので、皆様も緩くこのブログを覗いていただければ嬉しい

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変わっていて変わらないもの

今回は約何か月ぶりかの帰省
久々に会う人もいれば、割と会っている人にも
色んな人たちに会うことができた

会うだけではなくて、懐かしいと感じる場所も割と多めに行くことができた
街並みは僕が想像している以上に変わっている部分が多くて
昔からあった建物たちが高いビルに変わっていく様子を見ると少しだけ切なくなる
変わるのはいいことだとは思うけれども、街に染み着いた思い出が少しづつ無くなっていく気がして
少しだけ感傷的な気分になる

それでも今でも変わらない実家を見て、そんな気持ちを忘れさせてくれる
変わらないという言葉は適切ではないけれども
おばあちゃんの家でのご飯はいつもの夕食よりも豪勢で割と食べきれない量を出してくれたり
仕事で疲れているはずなのに、いつもより気合の入った料理を出してくれる母親
いつまでも息子や孫なんだなと少し照れくさい気持ちになってしまう

実家ということもあり、温かい時間に浸りで久々に休日らしいのんびりとした時間を過ごすことが出来た

久々に会う友人たちも環境や状況は学生時代とは違うけれども、
お互いの近況を話あって、僕も負けてられないなと思わせてくれる

割とこのブログについて聞かれることが多くて驚いたのだが、
特にブログの名前について聞かれたのだが、それについては次回にでも書いてみようと思う


ただ、帰省の度に思うことは、時間的な制約がやはり多い
今回も会いたい方々い会うことはできたが、
会いたくてもスケジュール的に会えない人もやはり多いのが現実である
会いたくても会えないというのは何とも悲劇であると毎回思わされる

ぜひとも友人知人の方々には東京に遊びに来てほしいと思う
それは帰省をしていなくても非常に思うがなかなか来ないのが現実
こればかりは少しだけ目から汗が出てくる

そんなことはさて置いて
次回はいつ帰ることが出来るのかはまだわからないけれども
また帰った時にも変わっていく街と変わらない人達に会いたいなと思う
変わらないと言っても、それぞれに環境は変わっていって
成長とかいろいろな変化はあると思うのだけれども
そんな人たちと変わらない笑顔で話ができたらなと思う

変わっていく僕の大好きな街で変わらない大好きな人達と一緒に

 

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『ただいま』と『おかえり』

上司に無理を言って3日間の休みをもらった

現在は販売業の為、シフト制の勤務形態なのだが、

あまり希望休を出さない僕が思い切って休みを取り

実家に帰る ことにした

 

東京に来てから何度か帰ってはいるものの

いつもは公休消化で不意にできた休みに帰っていいただけなのだが、今回はお正月に帰ることが出来なかったということもあり、思い切って希望休を出した

 

やはり実家に帰るとなると少しだけわくわくしている自分がいることを隠し切れないのはまだまだ自分が子供だからだろうか

家に帰ったらやりたいことが割とあるということも要因の一つではあるのだが…

 

実家には当たり前なのだが、家族がいる

ただ僕の場合は少し違って、血も種族も違っている家族が割と多めにいる

親や兄弟に会うことも楽しみではあるのだが、実は彼らと戯れることが今回のワクワクしている大部分を実は占めている

 

でもそれがメインではなくて、家族全員に言いたいことがあって

それが『ただいま』という何とも普通の挨拶ではあるのだけれどもそれをやや声を大きめに言いたい

 

というのも、現在はひとり暮らしをしていて

『ただいま』なんていう当たり前の言葉すら言わない生活を送っているからで、

【あまりにも寂しい奴】だと思う人が多いと思うが、

ひとり暮らしをしている人には共感はしてもらえると思う

何気ない当たり前の一言の挨拶でも遠ざかると何故だか恋しくまた愛おしく思えるものなのだ

 

【だから家族を大切にしてください】なんて、

ありきたりなフレーズを書くつもりは毛頭なくいのだけれも…

おそらく皆さんは僕以上に家族を大切にしていらっしゃるとも思うので

 

でも、今回帰っている道すがら

当たり前を当たり前にしているのはなんだか勿体ないなと感じたということ

僕よりも前に一人暮らしをしている偉大な諸先輩方は【知っているよ】なんて思われるかもしれないけれども

『ただいま』や『おかえり』

家に帰って家族の顔を見ながらホッと安心できる一言

それだけで疲れなんかも少しだけ緩和されたりする

だけれども毎日、繰り返しているとどうしても忘れがちになってしまってただの習慣になってしまう一言

 

自分自身がひとりで生活をして、ようやく認識できたこの一言

『愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ』

なんていう言葉があるけれども、僕は明らかに愚者なんだなと実感もさせられる

 

愚者なりに実感したからには行動にしっかり移していこうと思う

たぶん少し気恥ずかしくて素直にもしかしたら出ないかもしないけれども、ハニカミながらでも言ってみようと思う

しっかり大きな声で

『ただいま』

 

そしてぜひ皆さんも家族にだけじゃなく、古くからの友人が帰ってきたりしたら言ってみてほしい

『おかえり』

 

たったこれだけでたぶんだけど少しだけ幸せになれる

そんなことを思う新幹線の一コマ

 

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町から街へ

今日は珍しく日曜日の休日

 

朝から友の誘いで東京の街をぶらりと散策することに

新宿で集合をし、一路、浅草へと向かう

 

浅草は以前に一度、訪れた町

観光スポットということもあり、町は多くの人で賑わっていた

 

浅草というと東京を代表する下町

古き良きもので溢れていて、往年の銀幕スターのポスターや

僕の大好きなガヤガヤとした居酒屋や喫茶店が街を彩っている

だけれどもやはり観光街

どこか独特な見せ方をしているのがこの町の特徴でもあるなとふと感じた

漢字を多用したポスターや観光地特有のちょっとした食べ歩きスイーツ等

バラエティーに富んだものが並んだ不思議な町でもある

 

そこで古くからやっている餃子屋さんや路面の居酒屋なんかに入ってビールをあおりながらベラベラと話し、ブラブラと散策を繰り返すという僕ら独特の過ごし方だ

 

そこから気分を変えて銀座線を使って、一路青山へ

下町と違ってお洒落なこの街では

なかなか足が止まらないねなんて会話をしながらまたぶらぶらと渋谷方面に向かって足を進めてみた

浅草と違って小綺麗に纏まったこの街では本当に何かで足を止めるということが少なく

ここに来ている人々は何を求めて歩いているのだろうかとふと疑問になった

この街にいることが彼らにとってのブランディングなのか、それとも、僕が下町が好きなように彼らもこういった街が好きなのかと

だけれどもお洒落な服を身に纏い、お洒落な街へ出かけるという事は一種のステータスで、こんなスイーツ食べたとかの投稿を純粋に彼らは楽しんでいるんだろうなと思う

 

街が変わるとそこにいる人々の種類や有り様も変わっていき

そこでの楽しみ方もそれぞれにあるんだろうなと思う

休日の一コマ

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親父の背中

昔はあんなに大きく感じた

父親の姿

今では身長を追い越し

同じ社会人として会話しているなんて不思議な感覚だ

 

今日は父親と偶然時間が合った為、ご飯に

相変わらず洒落ている父親のスーツ姿

昔はそれに大きな憧れを感じていて

今でもこんな歳の取り方をしていきたいと思っている

 

そして常に思うのは未だに父親を超えることが出来ていないと思う

経済的なものもそうなのだが、50代半ばでかなりエネルギッシュに動き回り仕事に私生活にと勢力的に動き回る父親

自分自身に落とし込んで考えてみても何一つ超えることが出来ていない

いったいいつになったら彼を超えることができるのだろうかと考えるも超えることはないのかもなと少し消極的に考えてしまうもののいつかは超えて、彼に自分の家族でも自慢してやろうと思う

 

その時に『お前も立派になったもんだ』と小言でも言われながらお酒を酌み交わしたいものだ

 

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